奄゚て範疇であることが出来る。それでこそ初めて、範疇は論理の形態的構成力の因子となれるのである。
イデオロギーの形態的構成力の因子としての範疇は云わばその発生学[#「発生学」に傍点]を有っている。範疇は存在を把握すべきであるにも拘らず、即ちその限り対象となる存在から発生するにも拘らず、なお社会的[#「社会的」に傍点]――経済的・政治的・又宗教的――発生条件[#「発生条件」に傍点]によって限定される。だから同じ存在に就いても、どういう範疇が用いられるかは、具体的には、どういう社会条件の下にその存在が明るみへ出されているかに関わって来る。その限り範疇は全く社会の所産[#「社会の所産」に傍点]なのである*。
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* 範疇のこの――なおまだ一般的である処の――規定を指摘したのはデュルケムである。だが之だけでも範疇が少くとも社会の異るに従って別であることが出来るということを明らかにするには充分だろう。レヴィ・ブリュールも亦原始的社会[#「原始的社会」に傍点]――そういう社会条件――に於ける諸根本観念――諸範疇――が如何に吾々の世界のものと異るかを実証する
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