_]にまで媒介・転化せしめられる。意識は元来、それ自身で独立な存在ではあり得なかった。それは終局に於て他の存在――意識と対立して考えられた存在――に依存するのであった。意識の精髄としての論理が、単に意識の限界に止まることが出来ず、意識を超えて、意識を存在にまで依存せしめる処のものとならねばならぬとすれば、それはだから至極当然ではなかった。――かくて吾々はイデオロギーの心理学[#「心理学」に傍点]を、イデオロギーの論理学[#「論理学」に傍点]にまで立体化する必要があったのである。

 イデオロギーは併し、存在の単なる直接な反映ではない、単なる存在――夫は自然[#「自然」に傍点]によって代表される――が、歴史的社会的存在[#「歴史的社会的存在」に傍点]の框《かまち》を通って反映されて初めて、イデオロギーはイデオロギーの資格を得る筈であった。意識の形態を――存在から取って来て――与えるものが論理だと云ったが、具体的に云えば、この形態は実は、イデオロギーが反映しようとする対象の構造をば歴史的社会的存在の構造を通過させることによって、初めて形づくられるのであった。――それで論理も亦、この形態の具
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