ッでは無論何も論理と呼ばれる理由はない、ただ夫が意識にまで反映される場合を予想し、或いはそれが意識にまで反映された結果から溯源して、初めて夫が論理として特色づけられる理由が出て来るのである。今は存在としての存在・存在それ自体・は問題ではなく、一般に存在の反映と考えられるイデオロギー――意識――が問題であったから、その限り存在は常に意識にまで反映され得る限りの存在として初めて問題となるのであるが、そうやって問題になる存在の必然的な構造が、取りも直さず常に論理として特色づけられる、と云うのである。で、存在の必然的な構造としてのこの論理が、意識の立体的な構成力の論理となって反映すればよいのである。――蓋し論理とは、存在と意識[#「存在と意識」に傍点]とを媒介する機能である、論理の媒介機能なくして存在の意識への反映はあり得ない。
 存在の構造は論理という機関によって初めて、意識の立体的な構築として反映する、意識――イデオロギー――はそれ故に、意識形態[#「意識形態」に傍点]であらざるを得なかったのである。存在の構造[#「存在の構造」に傍点]は論理の機能によって、意識の形態[#「意識の形態」に傍
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