や思惟や理論に於ける論理――は、生きた本当の、而も日常吾々が夫を使って生きている、論理の特殊な一現象形態に外ならない。――論理とは外でもない意識の骨髄であり精髄なのである。
(論理は併し単に意識[#「意識」に傍点]の骨髄・精髄であるばかりではない、そうあることは実は更に根本的には、論理が存在の必然的な構造[#「存在の必然的な構造」に傍点]に外ならないことの一つの結果に過ぎないのである――後を見よ。)
 実際、心ある心理学者乃至論理学者其他によって、論理と感情乃至意志との関係は、可なり重大な注意を払われている。T・リボーが論理の内に於ける感情の役割を見出した(『感情の論理』)ことや、G・タルドが論理の内の意欲の作用を指摘したこと(『社会的論理』)は、その代表的なものであるが、P・ラピーやT・リップスの仕事も見遁すことが出来ない*。H・ロッツェが元来情意の対象と考えられていた価値[#「価値」に傍点]を、論理的判断――論理的価値判断――の対象と見たことも今云った点から注意されねばならぬ。――かくて、これ等の人々によれば、ともかくも論理は単なる――理論的なものに限られた――論理ではなくて、感情
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