部構造という社会的な存在[#「社会的な存在」に傍点]であるばかりではなく、それが夫々の一定の形態物――観念形態――であることから、論理的な価値物[#「論理的な価値物」に傍点]とならねばならない。意識の問題は吾々によればイデオロギーの問題であったが、そうであることによって意識の問題――意識という存在[#「存在」に傍点]の問題――は所謂価値[#「価値」に傍点]の問題にまで成長するのである。
 所謂価値[#「価値」に傍点]は吾々のイデオロギーの概念によって初めて、その誕生の不思議なカラクリを示される。所謂「価値論」によれば、価値は存在とは完全に別である、それは存在からは発生しない。だがそうすれば一体価値はどこから生れるのであるか、空から天降ってでも来るのであるか。こうした困難を恰も弁証法的に解決するものがイデオロギーの概念である。イデオロギーは一つの存在物である、だがそれ故にこそ[#「それ故にこそ」に傍点]夫は一つの価値物となる[#「なる」に傍点]、夫は真理[#「真理」に傍点]或いは虚偽[#「虚偽」に傍点]を云い表わすのである*。
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* イデオロギー
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