関係それ自体の構造が、実はやがて真理というものの構造に外ならない。歴史的社会にこの歴史的必然性があるからこそ、それは自然史的[#「自然史的」に傍点]に分析されることも出来る。所謂「歴史的必然性」とは、一種の自然必然性[#「一種の自然必然性」に傍点]に外ならない。
でイデオロギーの真理性は、歴史的社会の――一般的に云えば併し自然[#「自然」に傍点]の――必然的運動機構の、反映だったのである。この反映を実現する手段として、階級が、階級性が、横たわる。云うまでもなく、この階級乃至階級性の媒介過程は、イデオロギーが歴史的社会に就いての意識であるか、それともより根源的な所謂自然に就いての意識であるかによって、その段階を異にする。自然科学のイデオロギー性に於ける階級性は、社会科学の夫に較べて、著しく低い段階に位置する。だがそうであるからと云って、自然科学のイデオロギー性乃至階級性を苟にも無視して良いと考えるものがいるとしたら、それは知らず知らずに、自然自体に対する――例えば夫と社会との連関というような点に就いての――弁証法的理解を怠った者だと云わねばならぬ。
かくてイデオロギーは、単に社会の上
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