にも拘らず之は階級意識を媒介としなくてはならない。と云うのは、それは階級を原理として分類され対立せしめられ段階づけられねばならない。例えば前にも云ったように、オーストリア学派の経済学は金利生活者階級の経済学であり、それは金利生活者の社会心理を媒介とすることを通して批評されねばならなかったのである。之が文化形態論としてのイデオロギー論の根本的な一般方針であった。だがこのことは誰でも知っている。ただ多くの人々は必ずしも夫を自覚することなしに行っているか、又は意識的に行っていないと云うに過ぎない。社会心理学はイデオロギー論となることによって、初めて文化社会学にまで媒介されるのである。
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* A・ヴェーバーは「社会過程」の床の上に横たわる二つの文化形態――精神的[#「精神的」に傍点]なる「文化」と知的な「文明」と――を区別して「文化」の歴史的発展は常に突然な創造[#「創造」に傍点]の形態を示すのだから、文化の発展に就いては統一的な原理を見出すことが出来ない、高々これを類型化[#「類型化」に傍点]すことが出来るばかりだ、と云っている(第四章を見よ)。――
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