吾々は之と似た区別をM・シェーラーの文化社会学にも見出す(第五章)。だが文化――夫は此等の人々によれば特に精神的[#「精神的」に傍点]なものとして強調される――の運動形態が、統一的に理解出来ないのは、之をイデオロギーとして取り扱うことを知らないからに外ならない。
[#ここで字下げ終わり]
社会と意識との関係は、今日多くの人々が持つような社会の概念と意識の概念とを用いては決して決定出来ない。吾々がもし両者の関係を見たいならば――そしてこの関係は吾々にとって最も重大な現在の問題の一つである――、吾々は社会をも意識をも、マルクス主義的範疇[#「マルクス主義的範疇」に傍点]――イデオロギー論の範疇――を用いて理解する外に道がない。なぜそうであるか、一切の代表的なブルジョア社会心理学者(乃至社会学者・心理学者)及び其他が、恐らくその優れた頭脳にも拘らず、その方法の武器が拙劣なために、社会と意識との関係を説明するのに如何に失敗したか、読者は吾々と共に、夫を見なかったか。
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吾々はかくて、社会意識[#「社会意識」に傍点]の問題を文化[#「文化」に傍
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