]に就いては第三章を見よ)。
文化――その形態としてのイデオロギー――は、もはや意識[#「意識」に傍点]ではない。だがそれは云わば意識の客観化されたもの、意識の所産である。それは作品や設備機関に結び付いた主体であると云うことが出来る。だから夫は意識形態を媒介とすることによって説明されねばならない。そしてこのことは取りも直さず、階級意識[#「階級意識」に傍点]を媒介とすることによって説明されねばならぬということに集中する。――実際、吾々の社会心理学は外でもない、元来このような役割を果すためにこそ、用意されねばならなかった。併し階級意識を媒介として文化現象を説明することは、もはや単に何かの意識――社会意識其他――だけを[#「だけを」に傍点]説明原理とすることではあり得ない、何故なら吾々による意識はすでに、経済関係従って又政治関係――階級――を背景に持つものであったから。文化形態は意識形態から生じるが、それは後者の単なる自己同一的な延長ではなくて、後者が最も高次な或るものに質的に転化した処のものである。それは必ずしも意識形態の内には見出されなかった処のそれ特有の歴史的運動条件に従う*。それ
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