らと云って何等心理学的実在性を有つものでもない。それは実際にプロレタリア個人によって意識された意識ではなくて、プロレタリア個人によって意識されるべきである処の――実際はまだ意識されていない――「客観的な可能性」に外ならない。この客観的可能性に過ぎない階級意識を事実として現実化することによって初めて、世界の経済的危機の実践的解決も可能になる、と云うのである*。
[#ここから2字下げ、折り返して3字下げ]
* 〔G. Luka'cs, Geschichte und Klassenbewusstsein, S. 62―3, 86―8, 92 etc.〕
[#ここで字下げ終わり]
 だからルカーチに従えば、階級意識とは、要するにプロレタリアがもつ現実[#「現実」に傍点]の意識ではなくて、あるべき理想的な意識である。それは心理的な実在[#「心理的な実在」に傍点]から独立に理解された論理的な意味[#「論理的な意味」に傍点]の世界である。意味とはリッケルト達に従っても、成程仮構物ではないがどのような点でも存在[#「存在」に傍点]ではない。この新カント主義の意味論がマックス・ヴェーバーを通ってルカーチ
前へ 次へ
全378ページ中360ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
戸坂 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング