るのである。袋の中の二つの球は――仮に衝突したり摩擦し合ったりしても――まだそれだけでは対立してはいない、単に並存しているに過ぎない。
「公平」に観てもそうなのであるが、実在は決して道徳的俗物の欲するように公平ではない。存在は傾向[#「傾向」に傍点]を、運動方向[#「運動方向」に傍点]を、必然的な勢[#「必然的な勢」に傍点]を、有ってしか存在でない。で二つの階級の存在も亦決して「公平」に考えられてはならぬ。抑々社会の運動の必然的傾向・必然的方向を発見すること自身が、唯物史観の目的であった。そしてその為に階級[#「階級」に傍点]という範疇が必要となったのである。唯物史観は決して「公平」な理論ではない。――で、唯物史観によれば、階級社会はプロレタリアの階級が、ブルジョアジーの階級と対立することを通じて之を克服することによって、初めて真に社会としての社会に――階級なき社会に――まで進歩することが出来る。二つの階級の夫々の歴史的役割はだからすでに明らかではないか。
プロレタリアの階級は進歩的な階級である、と云うのは、この階級がブルジョアジーの階級に対して歴史的優位[#「歴史的優位」に傍点]を
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