る原因が横たわる。だが群衆の現象が催眠現象と異る処は、夫が個人の他の諸個人に対する同一視[#「同一視」に傍点](Identifizierung)を加えているという点である。と云うのは、一つの集団内の各個人は、オイディプス錯綜に於ける嫉妬の対象たる父を意味する処の、指導者・指揮者・将軍・長老等に取って替わる代りに(それが結局許されないから)、せめて自分を之と同一視して満足しようとする。これはやがて各個人間の同一視を容易に結果する。ここに集団[#「集団」に傍点]が――人工的な永続する群衆(例えば軍隊や教会)が――成り立つというのである。集団乃至群衆はリビドーによって成立する。それは原始的な性的欲望の一つの満足形式に外ならない、それはその限り原始時代への退行[#「退行」に傍点]を意味する。群衆が原始人の意識状態に帰り、又時としては反社会的・犯罪的・行動に出勝ちなのは、ここから説明されることが出来る。――フロイトはこうしてル・ボンの群衆心理学に一つの説明原理を補足する。
フロイトによれば、群衆は、集団は、従ってやがて又社会は、愛着や催眠の延長である。群衆・集団・社会の生命の本質はリビドーと
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