ismus」] ※[#ローマ数字3、1−13−23]. 5】)。
[#ここで字下げ終わり]
 フロイト主義はかくて、個人心理学的方法による生物学主義である。それが社会理論――即ち又歴史理論――に於ては観念論的歴史観を産まねばならない理由であった。この世界観を吾々は初め、マルクス主義に対立させて見たが、今や両者の根本的な相違とその優劣とがおのずから明らかとなっただろう(そしてこの両者の社会階級的な役割が、どう振り当てられねばならないかに就いても、もはや説明を必要とはしないだろう)。吾々は少くともフロイト主義を観念論に還元し、そして観念論を一つのイデオロギーとして一般的に批判するならば、それだけでもフロイト主義を形式的に批判するには充分だと考える*。
[#ここから2字下げ、折り返して3字下げ]
* イデオロギーとしての観念論の一般的な批判に就いては第三章を見よ。
[#ここで字下げ終わり]

 マルクス主義はフロイト主義と一つであるか一つでないか。両者が一応全く別のものであることに就いてはもはや何人にも異論はあるまい。それではフロイト主義はマルクス主義を取り入れることが出来るか。フロイト主
前へ 次へ
全378ページ中325ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
戸坂 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング