驍アとが出来なかったのだから、社会と意識(個人)との関係は、実質的には[#「実質的には」に傍点]解決し得ない問題としてしか現われて来ない。今日のブルジョア社会に於て支配的である――その意味で代表的である――社会の概念と意識の概念とによっては、だから社会と意識との関係の問題は、恐らく正当に云えば、問題にさえなれない筈なのである。
 この問題はだから次のような条件の下でしか解決出来ない、即ち、一方に於て、社会[#「社会」に傍点]が個人からの消極的形式的剰余であることをやめて、何かそれ自身の積極的な内容を得ることによって初めて、必然的に個人[#「必然的に個人」に傍点]まで媒介されるようになり、又同時に他方に於て、意識[#「意識」に傍点]が個人の固い殻の内に閉じ籠ることをやめて、何かの形で社会[#「社会」に傍点]にまで連絡されるようになる、そういう条件の下で初めて、之は解き得る問題となることが出来る。社会の観念はもはやブルジョア社会の概念の水準に止まってはならず、意識の概念はもはや個人的意識の概念の範囲に止まってはならない。否、もはやそうあることが出来ないということが、社会の概念自身と、意識の
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