ヲられる――という原理を法とする割り切れない剰余に過ぎなくなる。だからブルジョア的社会科学にとっては、社会は、個人というアトムの連合としてか、又はそうでなければ個人というアトムの連合からは理解出来ない個人外のもの――例えば強制を与える総体――としてか、理解される外はない。何れにしても、ブルジョア社会科学にとっては、社会とは個人を法とした場合の消極的[#「消極的」に傍点]な形式的[#「形式的」に傍点]な剰余となる(広い意味に於ける形式社会学は茲から発生するのである)。ブルジョア的世界観にとっては、このようなものが社会と意識――個人――との関係なのである。――だが、取りも直さず之は外でもない、ブルジョア[#「ブルジョア」に傍点]社会の概念と個人的[#「個人的」に傍点]意識の概念とによる社会と意識との関係に過ぎないのであった。
 社会を、意識すると否とに拘らず、ブルジョア[#「ブルジョア」に傍点]社会の概念を標準として理解し、同時に之に平行して、意識を、故意であると否とに拘らず、個人的[#「個人的」に傍点]意識の概念によって理解すると、社会は個人(意識)の消極的な形式的な剰余としてしか現われ
前へ 次へ
全378ページ中303ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
戸坂 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング