セるためには、それは所謂[#「所謂」に傍点]社会学であることを止めることこそ必要だろう。そうしなければ知識を社会的[#「社会的」に傍点]に――歴史的[#「歴史的」に傍点]に――取り扱うことは出来なくなる。之は詭弁ではない。も一遍云っておこう。知識の社会学はもはや単に一種の社会学として止まることは出来ない。この社会学は単に社会的存在という一部分的の科学には止まり得ない。知識社会学――イデオロギー論――は論理[#「論理」に傍点]の問題を、社会的[#「社会的」に傍点](歴史的[#「歴史的」に傍点])等価物[#「等価物」に傍点]として明白に且つ有効に、解き得なければならないのである*。
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* 「与えられた文学現象の社会的等価を発見することに努力しつつ、若しも、問題がこの等価物の発見にのみ制限され得ないということ、社会学は美学の前に扉を閉すことではなくて、反対にその前に夫を開け放つことであるということを理解しないならば、文芸批評はそれ自身の本性を裏切るものである。自らに忠実な唯物論的批評の第二段の行動は――それが批評家・観念論者の所に於てそうであった如く
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