熟と共に併しながら、プロレタリアの結束が、プロレタリアのブルジョアジーからの凡ゆる方面に於ける独立が、結果する。ブルジョアジーはその時、この次第に革命的となりつつあるプロレタリアに対抗するために、是非ともみずからの曾ての革命的性格を振り落し、或いは民主主義的、或いは絶対主義的・ファシスト的な変質を遂げねばならない。反抗的であったブルジョア的イデオロギー論も、亦イデオロギー論であることを止めて、単なる知識社会学[#「単なる知識社会学」に傍点]としてみずからを性格づけねばならなかった。何となればイデオロギーなる概念は、多少とも政治的・革命的なるものとの縁を絶つことが出来ないからである。所謂――ブルジョア的――知識社会学がイデオロギー論であることを、又は其になることを、欲しないのは誠に賢明であると云わざるを得ない。
知識社会学のこのような変質は、併しながら、であるから、プロレタリア的な知識社会学――イデオロギー論――の発生に、無意識的にか意識的にか、対応する。プロレタリア的知識社会学とは取りも直さずマルクス主義的「イデオロギー論」であった。――実際、イデオロギーと云う言葉を、今云うイデオロ
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