蜍`的な『社会学的認識論』を継承し、之を或る意味で拡張・補足しようとしたものは、W・イェルザレムの『認識社会学』である。
デュルケムがカントのアプリオリ主義的な認識論に代わるべきものとして提出した社会学的認識論は、到底論理的アプリオリの説明にはなり得ない、デュルケム自身は之によってアプリオリ主義と経験論との長所を総合したかのように考えていても、アプリオリ主義に対するかかる譲歩は、ただアプリオリ主義の精神を誤解することによってしか行なわれるものではない、とそうイェルザレムは考える。アプリオリ主義にとって問題になるのは範疇の妥当性の問題であってその発生の問題なのではないが、デュルケムがあそこで解いた処は正にこの発生の問題でしかなかった、そうイェルザレムは考える。で、イェルザレムによれば、デュルケム及び其の派の人々の研究に於て、真に独創的にして意味ある部分は寧ろ、認識を理解するためには、認識過程の歴史[#「歴史」に傍点]を学ばねばならぬ、ということを実証的に証明したという点にあったのである。併しすでに吾々も見たように、この点はまだ必ずしも彼等によって徹底されたとは云われない。何故ならデュル
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