カ活の現実的な諸関係から導き出されたものに外ならない。人間的思惟の内部的な構造は人間の実際的な社会生活――それが原始的には宗教的なのであるが――によって組み立てられ、そこから人間的思惟の発展が始まるのである、と説かれる。空間や時間も、夫々「社会的空間」と「社会的時間」とに基くのだ、というのである。
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* デュルケムはその社会学主義から云って、宗教が超社会的な起源を有つものではないことを、宗教こそが社会的所産であることを、証明しようと企てる(〔Les formes e'le'mentaires de la vie religieuse〕)。恐らく彼は之によって、社会が例えば経済的(又は政治的)に決定されるのではなくて却って宗教的に決定されるものだ、ということを云おうと企てているのではないだろう。処が例えば 〔C. Bougle'〕 は之を史的唯物論の反証として採用する。実は史的唯物論の準備としてこそ之は利用されるべきだと吾々は考える(引用の階級性の一例)。
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社会はもはや、単に何かの理論や科学を外部から制約するだけではない、
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