名だが、それは恐らくこの意味に於てであったろう。こうなればイデオロジー(イデオロギー)という言葉はすでに嘲笑と非難とをしか意味しない。――そこでマルクスは、恐らくこの「フランス・イデオロギー」に対比して、ドイツの唯物論者達の観念性を指摘するために、その『ドイツ・イデオロギー』(Die Deutsche Ideologie)を書いた。十八世紀のフランス唯物論の副作用がフランスのイデオロジーであったと同じく、十九世紀のドイツ唯物論がドイツ・イデオロギーという副作用を持ったというわけである。
 無論こういう云わば綽名としての言辞は、それだけでは科学的な概念にはなれない。だがイデオロギーという言葉が、その本来の真面目な意味内容が何かあった又あるにも拘らず、同時にかかるアイロニーでもあるが、実はこの概念の根本的な実質内容を暗示している。イデオロギーは唯物史観によれば、社会の上部構造――意識[#「意識」に傍点]――であると共に又虚偽意識[#「虚偽意識」に傍点]なのである。この場合それは利害[#「利害」に傍点]や好悪[#「好悪」に傍点]によって歪曲された意識を云い表わす。
 で上部構造――広義の意識
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