給ヌ同じことに帰着するがA→C)という構造を、それの単位とするものである。と云うのは、人々は先ず第一に一定の意識(A)を持つことによって、第二に之に基いて行為し(B)、自己のこの行為を第三に合理化・正当化す(C)、という順序によって、その行動[#「行動」に傍点]――之が非論理的なのである――を終結することが出来る*。さてこの(C)が恰もイデオロギーに相当する処のものである、蓋し(C)は(B)乃至(A)の云わば上層建築に相当するのであるから。社会生活に於てはたとい絶対的なもの・真なるものと考えられるものでも、実は常に、様々な知識内容をば情意に基いた或る一つの連関にまで結合する処の、人間の本能の結果の外ではない。それはこの意識内容に対して、単に後から遅れ走せに、合理的な整合と正当性との外観を与えるための、導来物・合理的被覆でしかない、と考えられる。之がイデオロギーに相当する理由であった**。で、そうすれば茲では、真理の外観[#「真理の外観」に傍点]を有つ処の、併し必ずしも真理ではないもの[#「真理ではないもの」に傍点]としての、観念体系=イデオロギーが問題になっている。之は単に特殊な立場に
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