A晩年のパレートをその腹心の一人に数えたのである。
[#ここで字下げ終わり]
 だがパレートの知識社会学にあっては、歴史的原理の代りに少くとも或る意味での実践的原理[#「実践的原理」に傍点]が支配している、ということは見逃してはならない。元来、歴史的原理が充分に歴史的原理としての資格を保つためには、それが同時に充分な資格に於て実践的原理でもなければならない、歴史的原理と実践的原理とは本来離れてはあり得ない――後を見よ。処で今茲で、歴史的原理の代りに実践的な原理が、従ってまだ充分な資格に於てではないが兎に角或る意味での[#「或る意味での」に傍点]実践的原理が、注目されている、というのである。何故なら、彼の社会学は一般に(Michels 等によれば)[#傍点]非論理的な行動の自然史[#傍点終わり]だと考えられることが出来るのであるが、この非論理的な行動の構造を特に取り出して分析するならば、それが取りも直さず彼の知識社会学――イデオロギー論――となるのだからである。パレートの知識社会学が或る意味に於て――但し行動を問題とするという意味に於てのみ――ともかく実践的原理を有つ所以である。之は無論
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