\―そのような生物学的・本能的・衝動――でなければならない、そうパレートは考える。このニーチェ的な世界観乃至人間学はであるから、結局、歴史の原理的な支配を徹底的に拒絶することを意味し、従ってその限り、シェーラーと可なり近いものを示しているかのようである*。ただシェーラーに於ては一方歴史[#「歴史」に傍点]は、永劫の回帰としてすら問題となることが出来ず、又他方、生物学的[#「生物学的」に傍点]・本能的[#「本能的」に傍点]な諸力も、結局精神的[#「精神的」に傍点]な諸力によって統制されているという点にだけ、両者の間の相違が在るというに過ぎないように見える(第四章を見よ)。
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* 歴史的原理の否定は、取りも直さず、歴史的必然性の何等かの意味での否定である。そこでは歴史的必然性を攪き乱すものとしての偉人――偉人は必ずしも歴史的必然性の攪拌者であるとは限らないのだが――に歴史的自由が許される。ニーチェの超人はかくて山を下りローマの街へ進軍する。パレートの知識社会学がファシズムのイデオロギーへ一貫していることは、注意すべきだ。パレートの弟子ムッソリーニは
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