フ変遷を嘗めて今日に至っている。この言葉が、デステュット・ド・トラシやカバニスが哲学の本領として提唱した観念学[#「観念学」に傍点](〔ide'ologie〕)の名から始まったことは能く知られている。――この人達(イデオローグ)の思想によれば、凡ゆる哲学的諸問題は、観念[#「観念」に傍点](乃至意識)の研究を基礎として解答されなければならない。まず観念がその起源・発生に就いて、感覚論的[#「感覚論的」に傍点]に、従ってその限りは唯物論的[#「唯物論的」に傍点]に(何故なら例えば感覚論者エルヴェシウスはフランス唯物論者の先駆者であるから)、取り扱われねばならないのである。処がこのイデオロジー[#「イデオロジー」に傍点]の哲学史上の役割は、恰も、コンディヤックの感覚主義をば或る意味では之と全く反対の極に立っているメヌ・ド・ビランの主意的観念論――直覚主義――にまで媒介する契機に相当していなければならなかったから、本来或る意味で唯物論的な――尤もフランス風の機械論的唯物論にぞくするのであるが――出発を有っていたこのイデオロジーも、おのずからその特色を変更せざるを得なくなってきた。メヌ・ド・ビラ
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