ずこの点に於てである)。
 さてこう考えると、今云って来たような哲学が、恰も形而上学[#「形而上学」に傍点]の反対物であることを人々は気付くだろう。何となればこの哲学の性格は弁証法[#「弁証法」に傍点]にあったのだから。そこで、吾々は前に宗教・神学を問題外に追放したが、今度は形而上学をも追放しなければならなくなる。形而上学とは、もはや一つの独立[#「独立」に傍点]な知識の種類ではなくて、弁証法的な知識に対する不完全[#「不完全」に傍点]な知識に過ぎなくなったのだから。今や、形而上学は、もはやシェーラーに於てのように哲学を代表することは出来ない、それは哲学の新しい代表者たる弁証法の反対者として、積極的に追放されねばならなくなった。かくて純粋に単なる哲学――もはや形而上学ではない処の――と実証科学とが残される。その両者が処で、特定な意味に於て弁証法的統一をなしたのであった。――哲学と実証科学とを絶対的に区別することが如何に無意味であるかを知るためには、人々は一寸、社会科学のABCをのぞいて見れば充分だろう。一体社会科学は哲学ではなくて科学であるのか、又は科学ではなくて哲学であるのか、そして
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