いのではない。シェーラーは処が、この区別を、人類と共に永遠な、本質的な、動かすべからざる、絶対的なものと考える。――或る個処ではカントの範疇ですら単にヨーロッパ人の思惟の範疇表に過ぎないと云っているこの自由主義者も、事一旦、形而上学に及べば、忽ちにして一種の絶対主義者となって現われるということを、人々は注意すべきである。
哲学も実証科学も、それが科学性に基いた学問であるからには、之を取り行なう人は、かれが賢者であると聖者であるとに関わることなく、まず第一に何よりも研究家[#「研究家」に傍点]でなければならない筈である。哲学も科学も、不断に研究を進め[#「研究を進め」に傍点]られねばならず、従ってその研究は累積して進歩[#「累積して進歩」に傍点]して行かねばならない筈である。もし進歩展開の余地を持たないような完成した体系が存在するならば、それは事実上学問としてではなくて予言としてでもあろうか。ただこの進歩の仕方が哲学と科学とでは重大な相違を――但し絶対的な相違ではない――示すことが出来ると云うまでである。前者に於ては進歩は云わば螺旋状をなし、後者にあっては之に反して云わば transi
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