的な知識」に傍点]でない限り――知識社会学にはぞくさない。――残る問題は、形而上学[#「形而上学」に傍点](又は哲学)と科学[#「科学」に傍点](実証科学が之を代表する)との関係に横たわる。

 形而上学(シェーラーは茲で優越なる意味での哲学一般を意味せしめる)と実証科学、哲学と科学、は無論絶対的には一つではない。両者はたしかに一応の区別を有つ。前者が体系[#「体系」に傍点]の内に安定し、後者が累積的進歩[#「累積的進歩」に傍点]の道をたえず追っているという、シェーラーの指摘は必ずしも誤ってはいない。実際例えばプラトンの哲学は古典として今日に至るまでたえず人々を――夫に同情する人々をもそれに反対する人々をも――支配している、哲学に於て単なる「死せる犬」は存在しない。自分自身で哲学的に物を考える時、このことは何人にとっても証明されることだろう。而も之は、例えばガリレイの自然科学が古典として有っているのとは非常に異った[#「非常に異った」に傍点]意味を有っていることも確かである。――けれども両者のこの相違、この区別は絶対的[#「絶対的」に傍点]なのではない、二つのものの間には動的な媒介がな
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