史的に与えられた特殊の体験の、解明・基礎づけ・擁護・ではないか。ただその特殊な体験というのが、必ずしも宗教的な信仰ではないというまでである。而もそれすらが殆んど凡ての場合宗教的ではないだろうか。人々は今日、一切の形而上学[#「形而上学」に傍点]に神学[#「神学」に傍点]を見出すことが出来はしないか*。――そしてシェーラー自身がその好い一例に外ならなかった。
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* コントの所謂三段階説は、実は二段階説なのである。何故なら、人間の知識は神学的な段階から実証的な段階に移行するというのがコントの根本的な思想なのであって、ただ之が一遍で移行出来ないために、中間の過渡期として、形而上学的な段階が※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]入されるに過ぎないから。――それ故コントにとっても、形而上学とは、実証科学に成り切れない内の神学的残滓を意味するわけである。こう考えて見ても、形而上学の内に神学が見出されるのは当然である。
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 吾々はかくて宗教を知識の内から追放する。宗教は――それが原始的な知識[#「原始
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