種の知識[#「知識」に傍点]であることが出来る。他の人々にとっては却ってそれは知識――又文化さえ――の内に数えられてはならないとさえ考えられるだろう。それはそうとして、もし仮に宗教が一種の知識であり得るならば、夫は恐らくコントが名づけた通り、神学的[#「神学的」に傍点]なものと呼ぶ外はないだろう。そして神学が独立な――実証科学と対抗出来るような――知識[#「知識」に傍点]であるためには、即ち神学が一つの真理[#「真理」に傍点]を無条件的に人々へ説得する機能を有ち得るためには、それはその科学性の上では形而上学[#「形而上学」に傍点]以外のものであり得ないことを注意すべきである。シェーラー自身も亦示している通り、宗教と形而上学とは、実証科学に対立しては同じ側に立つ。宗教が知識であるためには、神学が学であるためには、その学問性(科学性・真理性)は――他の点ではどう違おうとも――形而上学と同じでなければならない。尤も、神学とは歴史的に与えられた特殊の体験――信仰という――を解明又は基礎づけ又は擁護する学問なのだから、単なる形而上学とは根本的に別である、と云うかも知れないが、併し形而上学こそ、歴
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