て同一物からの――同時存在的な――分化にすぎないという主張は、一応、実証主義的な偏極に対する公平な或は寧ろ折衷的な訂正であるかのようにも見えるが*、実は、之によって実証主義[#「主義」に傍点]に対して宗教――及び形而上学――を保護しようとする処の、云わば護教学的な形而上学主義[#「主義」に傍点]が云い表わされているのを見逃してはならない**。実証科学は生物的な人間の目的に仕えるための知識にしか過ぎない。宗教と形而上学とこそ homo sapiens に固有な貴重な「専売」物なのである。彼はそう云って権威あるものの如く説く。中にも彼によって考え出された処の[#傍点]最高の知識としての宗教[#傍点終わり]の生れながらの随喜者 homo religiosus は、ネアンデルタール人にもクロマニヨン人にも到底見出されなかったであろうことは確実である。彼は「科学主義者」コントに対する「信仰主義者」――僧侶主義者――として、自己を高めようと欲する(それ故にこそシェーラーによって初めて真の知識社会学は開始されなければならなかったわけである)。併しこの[#傍点]最高の知識としての宗教[#傍点終わり]な
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