オて行われたシェーラーの講演と、之に対するM・アードラーの批評とを見よ。
[#ここで字下げ終わり]
 マックス・シェーラーの文化理論の何より著しい特色は、生物的生命の原理=衝動をば、敢えて文化の史的発展の基底に据えたという点にある。そこで人々はすぐ様、G・フロイトやA・アードラーの、精神分析理論を思い出さざるを得ないだろう。実際、精神分析の[#「精神分析の」に傍点]理論に従えば、一般に文化は、衝動――広義に於ける性衝動・又は権力への意志――を終局の原因とする。この点で、それはシェーラーの衝動理論と好く似ているようにも見える。
 だが、今は区別が大切である。衝動[#「衝動」に傍点]を阻止し又解放するものは、シェーラーにとっては、正に精神そのものであった。衰えたりと雖も精神はそこではとにかく、衝動に対立する独立[#「独立」に傍点]の原理となって登場する。処が精神分析によれば、精神それ自身が初めから衝動的[#「衝動的」に傍点]本質と考えられる。だからこの衝動即ち又精神を、阻止し解放するものは、もはや精神自身である筈がない。フロイト主義によれば夫が、社会[#「社会」に傍点]でなければならなかっ
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