焉u文化社会学」の主張を、例えばマルクス主義的文化理論乃至社会理論の成果と、直接に対決させて見ることは、可なり野暮なことだろう。吾々は別な途を択ぼう。
ドイツ民族精神の哲学は、或る意味に於て、すでにヘーゲルを以て終っている。ヘーゲル以後ドイツ民族的「精神」の正面的な・体系的な・無条件な肯定の哲学[#「哲学」に傍点]――(今の場合の)社会学[#「社会学」に傍点]ではない――はもはや見ることが出来ない。その後に見られるものは高々、超歴史的な単に一般的な範疇として理解された限りの、イデーとか「文化」とか「精神」だけであると云って好いだろう。そしてヘーゲルの「精神」の哲学は、マルクスの「物質」の哲学――だがそれが「社会学」ではなかったことを忘れるな――によって代られた。処が物質の哲学はもはやすでに「哲学」ではない、でドイツ[#「ドイツ」に傍点]観念論哲学は或る意味に於て、ここに終ったのである。
ドイツ民族は、即ち又ドイツ国家は、過去数十年来あれ程目醒しく台頭して来たにも拘らず、今日ではすでに、全く行きづまって了った。大戦後のドイツは、例えばナポレオンに征服されたドイツ――そこにはヘーゲルが
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