カ明の概念から区別されることによって、まず第一に、如何に審美的[#「審美的」に傍点]――又ロマン派的[#「ロマン派的」に傍点]――性格を与えられたかを。文化とは外でもない、感情[#「感情」に傍点]による象徴的影像[#「象徴的影像」に傍点]の外ではないのである。それは生物的生命の存続などにとっては過剰物[#「過剰物」に傍点]である、否それだけではない、吾々が生活の全形式を、生活の全根本原則を、そのためには犠牲にしても構わないような、何か高貴的な芸術作品[#「芸術作品」に傍点]の如きものなのである。実際彼によれば、文化の内容には二つの側面しかない、人格が世界を自己の内に取り入れるという側面と、反対に人格が世界形象の統一を構成するという側面と。後者はイデーであり前者が即ち芸術作品[#「芸術作品」に傍点]である。後者は予言者[#「予言者」に傍点]のものであり前者が芸術家[#「芸術家」に傍点]のものである、と彼は考えるのである*。人々は云うまでもなく茲でシェリングの象徴詩的・審美的・――又ロマン派的――な哲学体系を連想しなければならない。処が第二にこのロマン派的理論は、おのずから、そのドイツ風な
前へ
次へ
全378ページ中189ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
戸坂 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング