ネければならない。即ち論理は単に論理としての[#「論理としての」に傍点]論理ではなくて、非論理的な存在に関する論理でなくてはならぬ。之が矛盾[#「矛盾」に傍点]と呼ばれる特色をなす。こうした論理機能を自覚したものが弁証法的論理[#「弁証法的論理」に傍点]である。そして弁証法的論理は、今述べた処で判るように、常に唯物論的なものでなくてはならなく出来ているのである(但し弁証法は何も論理[#「論理」に傍点]に限らない、元来夫は存在[#「存在」に傍点]の運動法則だということを注意しておこう)。
 之に反して観念論的存在論によれば、存在とは観念ということである。だからこの場合の論理は、観念に就いての観念の把捉形式の外ではない。論理は論理・観念の自己同一性[#「自己同一性」に傍点]にさえ立脚すれば好い(同一律と矛盾律)。そうした論理が形式的論理[#「形式的論理」に傍点]なのである。――唯物論は弁証法的論理を、観念論は形式的論理を、決定する。
 観想的世界観―観念論的存在論―形式論理学。及び実践的世界観―唯物論的存在論―弁証法的論理学。まずこの二群の公式を以上のように導来しておこう。

 さてこの二
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