\存在論―論理学。
 実践的世界観は唯物論的存在論を決定し、之に反して観想的世界観は観念論的存在論を決定した。では唯物論的存在論と観念論的存在論とは夫々如何なる論理学を決定するか。前者は(唯物)弁証法的論理[#「弁証法的論理」に傍点]を、後者は形式的論理[#「形式的論理」に傍点]を決定するだろう。
 唯物論的存在論によれば、存在は物質[#「物質」に傍点]――之は物理学でいう物質の範疇とは別である――である。と云うのは、存在は終局に於て観念――人々は之を主観とか意識とか自我とか名づける――から独立に存在する、従って又観念の力を借りることなくみずから運動する、と考えられる。だからここでは観念はいつも自分の外に横たわって運動している存在を捉えなければ[#「捉えなければ」は底本では「促えなければ」]ならない。処で論理とは観念が存在を捉える[#「捉える」は底本では「促える」]ための観念形式なのだから、この場合の論理は単に論理としての論理――論理・観念の自己同一性[#「自己同一性」に傍点]――に立脚することに止まることは出来ずに、論理外のものの論理化[#「論理外のものの論理化」に傍点]として機能し
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