\―秩序の完成――であり、彫塑的[#「彫塑的」に傍点]な完璧である。そこでは働くことが必要なのではなくて観る[#「観る」に傍点]ことが凡てでなければならない、存在は観想されねばならぬ。存在としての存在は見られてあるもの[#「見られてあるもの」に傍点]となる、之が元来彼のイデア[#「イデア」に傍点]――観念[#「観念」に傍点]――の意味であった。そしてここからその存在論であるイデア[#「イデア」に傍点]論が始まる、それが観念論[#「観念論」に傍点]の原型に外ならない。
 この二つの古典的な原型で見られるように、唯物論と云い観念論という存在論に、たとえありと凡ゆる種類と分派とがあるにしても、一切の哲学は終局に於て[#「終局に於て」に傍点]観念論か唯物論かに帰着せしめられることが出来るのである。
 処が、一般に存在論は存在に関する哲学体系であったが、哲学体系は範疇の体系[#「範疇の体系」に傍点]によって初めて組織立てられる。そして範疇の体系の形式を取り出して見るとそれが所謂論理学[#「論理学」に傍点]なのである。世界観は存在論を決定したが、今度は存在論が論理学を決定しなければならない。世界観
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