lの意識」に傍点]と群集の意識[#「群集の意識」に傍点]とが異ることを、或る心理学者達がどれ程強調しようとも、両者が同じく意識と呼ばれる理由は、外でもない両者とも同じく、個人的意識[#「個人的意識」に傍点]――もはや必ずしも個人のもつ[#「もつ」に傍点]意識に限られない――だという処に横たわる。
実際、実験心理学(従って、又一般に心理学)が、生理学――それは生物個体[#「個体」に傍点]に関する理論である――にその物質的基礎を求めなければならない以上、その意識の概念は個人的意識[#「個人的意識」に傍点]である外はない。――だがこの点は、謂わば哲学的心理学[#「哲学的心理学」に傍点](F・ブレンターノの『経験心理学』やナトルプの『一般心理学』)・現象学・哲学(「先験心理学」其他)などに於ても、今まで少しも変る処はないのである。哲学的心理学や現象学乃至哲学などに於ける「意識」は、――最も特徴ある場合を採るとして――それが如何に「純粋意識」(フィヒテ、フッセルル)であろうと「意識一般」(カント)であろうと、要するに個人のもつ意識(それは個人意識とか経験的意識とか呼ばれる)から蒸溜されたもので
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