メは、だから、どれ程科学的であろうとも、必ずしも意識という概念の説明に於て権威を有つものではない。心理学的意識概念は、常識的な概念乃至用語のセンスによって、裏切られる。――一つとして数学の名辞のように定義出来る日常概念はない、誰が一体机を定義出来るか、誰が一体家を定義出来るか。こうした概念の諸規定はそれに対立した諸規定によって、順々に否定されることによって、初めてほぼ纏った一つの概念となることが出来る。ヘーゲルが指摘する通り、凡そ概念と呼ばれる限り、それは弁証法的なものであらざるを得ない。――意識の概念も亦そうした弁証法的な概念であることを今、忘れてはならぬ。
心理学、その代表的なものは実験心理学であるが、この科学にとって、意識とは常に個人[#「個人」に傍点]が有っている意識のことを意味する。考え方によっては個人ばかりではなく団体も亦――群集・法人・民衆・国民等々――意識を有つと云われなくはないが、そうした団体のもつ意識も実は、個人の有つ意識の概念を基準として、初めて意識の名を与えられることが出来る。個人のもつ意識という概念は、一切の意識の概念のモデルと考えられる。個人の意識[#「個
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