ethod)であらざるを得ないであろう。併し比較法とは、実は却って現象の単純な反覆性を仮定している、もし現象が単純に等質的に[#「単純に等質的に」に傍点]繰り返さなければ、――尤もどのような現象でも何かの意味では反覆する――、現在存在する現象の比較の結果を、過去の現象にまで及ぼして結論することは出来ない筈である。実際主義――比較的方法――は歴史の単純な反覆性を仮定する。それによればコントの歴史三段階説にも拘らず、歴史の本質である発展の質的飛躍[#「質的飛躍」に傍点]――歴史の段階的展開[#「段階的展開」に傍点]――は実は存在しない。歴史は実証的段階に入るや此の段階的展開を閉止する、実証的段階は不動で永久でなければならぬ。実証主義の社会学は、他の社会学乃至社会心理学に較べては、社会現象に於ける時間[#「時間」に傍点]の要因を一応見遁さない点で、歴史的ではあるのだが(これはサン・シモンやコント等のぞくしていたブルジョアジーの一時的な進歩性を言い表わす)、その歴史が結局――ブルジョアジーのその後の反動性と共に――非歴史的なものとしてしか把握されない。だから社会は結局非歴史的なものとしてしか把握されず、即ち社会は非社会的なものとしてしか把握されない(第五章を見よ)。デュルケム乃至レヴィ・ブリュールの社会心理学は、他のブルジョア社会心理学とは反対に、意識の分析からではなくて社会の分析から出発したが、折角のこの社会が非社会的――非歴史的――にしか掴まれていなかったわけである。実証主義的社会心理学は、だから、社会の分析から出発するという方法を、徹底することが出来ない。それは正当に社会を分析し得ないのだから。ここでも社会はブルジョア社会としてしか、又はブルジョア社会を標準としてしか、理解されていない。
社会のこの分析が正当でないことは、デュルケムの社会学主義[#「社会学主義」に傍点]の精神の内にも見出される。それは人間的諸事物を、自然や観念の概念を用いて解明する(自然主義・観念論)代りに、正に社会的存在として之を解明する企てであるが、それは無論好いとして、処がこの社会が飽くまで社会プロパーに止まっていて、――ブルジョア社会は永久化されて社会プロパー[#「社会プロパー」に傍点]となる――経済的な原因にまで掘り下げられて分析されていないという、盾の半面を持っている。夫は所謂――この概
前へ
次へ
全189ページ中178ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
戸坂 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング