ニいう意図を有っているのである。全く、都合の好いような仮定に基けば、都合の好い説明を下すことは容易だろう。併し一般に社会がそうであるように、群衆乃至集団の本質は、第一義的に、決して心理的乃至精神的なものに求められてはならない*。何故なら、例えば階級――之は少なくとも一つの集団である――の本質は階級意識にあるだろうか。もしそうならばプロレタリアはプロレタリア的階級意識さえ持たなければ、貧乏[#「貧乏」に傍点]しないで済む筈ではないか。――それにも拘らず、社会心理学者達は、群衆心理学乃至集団心理学に於て、群衆乃至集団に心的[#「心的」に傍点]――心理的乃至精神的――本質[#「本質」に傍点]を発見する。群衆心[#「群衆心」に傍点]又は集団心[#「集団心」に傍点](group mind)なるものがこの本質の――この実体[#「実体」に傍点]の――名なのである。
[#ここから2字下げ、折り返して3字下げ]
* 群集[#「群集」に傍点](Masse)は単なる群衆[#「群衆」に傍点](crowd)であるばかりではなく又大衆[#「大衆」に傍点]をも意味する。そして大衆は必ずしも単なる集団(group)と一つではない(拙稿「科学の大衆性」――『イデオロギーの論理学』【前出】の内――を見よ)。crowd と group との区別はマクドゥーガルによって与えられた(The Group Mind, p. 21 ff.)。一体 Masse の概念は従来あまり正しく分析されていないように見える。例えば G. Colm, Die Masse (Archiv f. Sozialw. u. Sozialpolitik. 1924) がその一例である。
[#ここで字下げ終わり]
社会心理学は群集(乃至集団)心理学に集中されると云ったが、群衆(乃至集団)心理学の問題は更に、集団心[#「集団心」に傍点](乃至群衆心)の問題に集中される*。W・マクドゥーガルは茲で代表的な位置を占めている(The Group Mind, 2 Ed. 1926**)。
[#ここから2字下げ、折り返して3字下げ]
* 「集団心[#「集団心」に傍点]という言葉が技術上不都合であるにしても、この言葉によって示される領域の研究は進捗しつつある。そしてそれが普通社会心理学と呼ばれる処のものの中心で最も本質的な部分であることが愈々益々認め
前へ
次へ
全189ページ中172ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
戸坂 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング