s de la vie religieuse〕 を見よ)。この点での実証的[#「実証的」に傍点]精神はコントの歴史哲学自身にはなかった。
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コントに於ける、知識の神学的から実証的への歴史的発展[#「歴史的発展」に傍点]――そこにこそかの段階[#「段階」に傍点]があったのである――は、デュルケムに於ては、宗教からの認識の社会的発生[#「社会的発生」に傍点]として、再生される。二つの知識形態の段階上の推移は、知識一般のもつ発生条件の問題にまで変更される。従って、そこではもはや知識の歴史的段階などは問題となる余地はないだろう。尤も、原始民族の知識と文化民族の知識との間にはたしかに或る意味での段階的な隔りはなければならぬであろう、吾々の思惟の仕方と原始民族のそれとは根本的に別だということこそはデュルケム自身が証明する処の当のものであるのだから。だがそれにも拘らず、吾々文化民族の思惟の仕方一般を明らかにするためにこそ、抑々原始民族――但し現存の原始民族――の思惟の仕方が、方法論上[#「方法論上」に傍点]、必要であったということを忘れてはならない。と云うのは、社会学の方法は一般に、「歴史的方法」ではなくして「比較的方法」でなければならない、と考えられる*。そうすればそこではすでに、今云った――文化民族の知識内での――段階は平面化され、段階性を失って了っているではないか。この段階を平面化すること、之は特定の[#「特定の」に傍点]一定の方向に向って進歩するものとしての歴史の原理を、それだけ陰影の側に回すことを意味する、歴史的原理はそれだけ稀釈される、歴史とは今や単なる――非段階的な――発展でしかない。歴史的段階自身が平面化されるから、之に相応した夫々の政治的性格――階級性――は云うまでもなく完全に問題外に無言の内に押しやられる。コントに見た、かのイデオロギー論[#「イデオロギー論」に傍点]は回避される、階級性が逃避されたからである。――誠に之はコントの実証主義の正統的な継承でなければならない、何となれば実証主義が充分に歴史哲学であろうとする限り、それは結局実証主義ではあり得ないだろうからである。
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* 「社会現象を、夫がぞくしている時代的な系列から引き離すことが必要である」(〔Durkheim, Les re'g
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