sformen und die Gesellschaft)。――併しフランシス・ベーコン自身はその論理学[#「論理学」に傍点](Novum Organum)の劈頭に、かの有名な「偶像論」を掲げたのであった。
シェーラーはそして、真の哲学と科学とを妨害する運動の一つに就いて云っている、「プロレタリアのマルクス主義的階級イデオロギーが、誤って、ブルジョア科学に対するプロレタリア科学というような何か特殊な科学ででもあるかのようなものにまで引き上げられている、まるで科学が(イデオロギーから区別されたる科学が)或る階級の有つ機能ででもあり得るかのように」と(M. Scheler, Formen des Wissens und Bildung, S. 10)。――イデオロギーは論理と無関係である、だからプロレタリア科学[#「プロレタリア科学」に傍点]などは存在し得ない、と云うのである。
[#ここで字下げ終わり]
だが論理と完全に無関係に止まっていることの出来るような知識のイデオロギー論は、元来、充分な意味でのイデオロギーの理論であることは出来ない――吾々は夫をすでに第二章で述べた。知識のイデオロギー論は、イデオロギーの論理学を含まずには成り立たない。何故なら、イデオロギーという概念それ自身がすでに、それが知識に関する限り、真理[#「真理」に傍点]と虚偽[#「虚偽」に傍点]との関係を離れては無意味だったからである。蓋し知識としてのイデオロギーの特色は、一定の理由で、真理だと思われているものが実は虚偽であったり、又は虚偽だと云われるものが却って実は真理であったりするような、歴史的弁証法的なものなのだから。
マックス・シェーラーは彼の知識社会学から、歴史的原理[#「歴史的原理」に傍点]を完全に追放する。かくて階級性[#「階級性」に傍点]は無論のこと追放される。このことは併し、同時に、その知識社会学から論理[#「論理」に傍点]の問題を完全に閉め出すことを結果する。真理[#「真理」に傍点]・虚偽の価値関係[#「虚偽の価値関係」に傍点]は閉め出される。
一般に知識社会学に於ては、歴史の否定は同時に論理[#「論理」に傍点]の否定を意味するだろう、それを吾々は今シェーラーに於て代表的に見たのである。
[#3字下げ]二[#「二」は小見出し]
問題が知識の問題であるだけに、知識社会
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