緕O二・一〇
[#地から9字上げ]東京
[#地から2字上げ]戸坂潤
[#改ページ]


第一部「社会科学」的イデオロギー論の綱要[#「第一部「社会科学」的イデオロギー論の綱要」は大見出し]



[#1字下げ]第一章 イデオロギーの問題[#「第一章 イデオロギーの問題」は中見出し]



[#3字下げ]一[#「一」は小見出し]

 云うまでもなくそれ自身としてはブルジョアジーのものである処の、わが国に於ける文壇や論壇、又学壇をさえ一貫して、マルクス主義的・社会科学的・認識が今日では可なりよく普及していると見て好い。一部分の、無意識的にか又は故意にか、敢えて迷蒙に止まろうと欲しているとしか考えられない諸反動分子は例外として、わが国のインテリゲンチャ層は大勢から云って、マルクス主義的・社会科学的・諸範疇を夫々の程度に承認し、而も之を相当日常化して使っているだろう。イデオロギー[#「イデオロギー」に傍点]という言葉乃至概念も亦例外ではない。
 諸種の反動的な「学者」や「専門家」達にとっては、それにも拘らずこの概念は、あまり好ましくない、厄介な、又は軽視されねばならぬ、ものであるように見える。之は高々一群の学徒にしか過ぎない社会学者達だけが口にしても好い言葉であって、その社会学者達自身さえが止むを得ない必要のない限り真面目に用いてはならぬ言葉である、と彼等は考えているようである。
 こう考えて見ると、イデオロギーという概念を承認するかしないか、又どの程度に夫を承認するかは、その国のインテリゲンチャがどの程度に進歩的であるか無いかの標準になる。蓋しインテリゲンチャの最も手近かな問題は、要するに知能的[#「知能的」に傍点]な――インテリゲンツの――問題であって、従って文化とか意識とかが彼等の何よりもの生活問題になるのが普通だから、彼等にとってはイデオロギーが最も手近かな問題であり、即ち又イデオロギーの問題は、彼等によってこそ最初に取り上げられる理由があるのである。
 わが国のインテリゲンチャも国際世界の大勢に従って、資本主義制度の社会的停滞と共に次第に無用のものとなり、それだけ自然の結果として低能化して来た今日、丁度ドイツの学生達が反動的であるように――彼等はその進歩性をフランス大革命への感激の涙と共に流し去って了った――反動化しつつあるのは事実である。そうだとすればたといイデ
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