るのであった。
性格とは事物の支配的な性質であり優越な性質である。その事物の他の一切の性質は、性格という資格をもつ一つの性質によって支配せられ優越せられ、かくて事物の表面的な形式的な公的な交渉からは隠される。その代り事物の諸性質の集合意志は性格を代表者として議席に送る。性格は議場に於てそれが代表する事物の権利を主張する、事物は性格の能力の如何によって夫々異った取り扱いを結果として招くのである。さてどの性質が性格として択ばれるべきかは全く政策にぞくする。そしてこの政策は例えば理論的計画として、人々の手に、通路に方法に、横たわる。
性格が方法的であることは今や明らかとなったであろう。併し方法的であることは常に実践的[#「実践的」に傍点]であることを意味する。性格は実践的規定を有たねばならない。日常的な具象的事物をそのまま静止したものと見るのであっては、それがどうあるかを知ることは出来ない。事物はどう実践的に取り扱われ得るかによって初めてその性質を明らかにする。事物を取り扱う――理論的に又実際的に――という正に実践的な折衝に於て、代表者として機能するものが性格であるのである。性格はただ実践[#「実践」に傍点]に於てのみ意味を有つ概念である。性格のかの通路や方法は実は之を意味するのであった。
性格は実践的・方法的であると云った。日常の事物のどの性質が性格として択ばれるかは例えば人々の之に就いての理論的計画によると云った。理論的計画は人々の任意によって立てられるかのように見える。事実人々は或る成心を以て或る理論的結果を招くべく計画する時、事物はこの計画に合致すべく性格づけられる。例えば或る社会現象は、或る意味に於ては最も把握し易く又他の意味に於ては最も把握し難い。この日常的事物は、宗教家によって――彼は凡てを信仰に関係づけて理解しようとする実践的成心を持っている――信仰の欠乏として性格づけられ、又国民道徳家によって――彼は人間を常に絶対に国民であることに於て見なければならない実際上の必要があるのである――国家意識の欠乏として性格づけられる。かくてこの社会現象という事物は信仰又は国民意識の鼓吹によって実践的に処理され得るものと思い做される。そう想像することは実際彼等の自由であろう。彼等がその好む処に従って任意な性格を見出し、之によって事物を処理すべく努力することは許されないのではない。併し性格は誤って[#「誤って」に傍点]把握される場合があるであろう。理論の計画は誤って立てられることがあるであろう。どのような理論的計画を立てるか、どのように性格を見出すかは、成る程人々の自由であるように見えるが、併しそうすることによって実践的に事物を処理することが、結局に於て――直ぐ様ではない――不可能となるならば、その計画・その性格の把握・は誤っているに違いない。何となれば性格は事物を実践的に処理する方法を与えるのでなければならなかった、計画はそのような目的を有って初めて計画であり得た、のであるから。向の社会現象は信仰又は国民意識の鼓吹とは関係なく、それ自身の軌道を歩んで行くであろう。性格の発見――それは理論乃至実践の実践的方法に依存する――を条件づけるこの正誤[#「正誤」に傍点]は併し、何によって標準を与えられるか。
夫を与えるものが歴史的運動[#「歴史的運動」に傍点]である。私が歴史的運動と呼ぶのは併し、歴史家によって記述された又されるべき歴史学的統一体――世界史乃至某々史――としての歴史のもつ運動、を指すのでは必ずしもない。そうではなくして要素的に、又一般的に、従って歴史学的統一体としての歴史の根柢に於ても無論、働いている処の、根本的な要素的な歴史的運動をそれは意味するのである。凡そ人々が或る事物を実践的に取り扱う時、即ちその事物に就いて理論し又はその事物を現実的に変革する時、事物の概念は又事物の現実的存在は、変化せられる。かかる変化=運動は併しただ人々が之を加えることによってのみ成立する。吾々は之を自然的運動から区別しなければならない。歴史的運動とは之である。概念の運動・思想の運動・から始めて、行為の運動・歴史学的統一体としての歴史の運動・に至るまで、運動は凡てこの歴史的運動としての特色を有つ。この歴史的運動は要素的運動である。歴史的乃至人間的と呼ばれる凡てのもののどの部分を取って見ても、夫はこの運動を要素としてのみ運動し変化することが出来るのでなければならない。処で歴史的運動が歴史の一部分[#「一部分」に傍点]に於て行われるためには、之は同時に歴史の全体[#「全体」に傍点]に於ても行われなければならぬという特色を有つ。と云うのは或る限られた一定の歴史内容に於ける運動は常に、それを越えて全体の歴史内容に於ける運動に終局に於いて帰着し、之に制約せられるのである。例えば理論という特殊の歴史的内容の歴史的運動は社会全体の歴史的運動に終局に於て帰着して行かねばならぬ性質を持っている。理論の歴史的発展――運動――はそれ自身が特有な動力と形態とを有っているにも拘らず、社会の歴史的発展によって終極的に――直接にではない――限定されている。歴史的な全体と部分とは歴史的運動に於て特有に層を重ねた有機的連関を示す。――さて事物の性格は常に事物の歴史的運動に寄与しなければならない[#「事物の性格は常に事物の歴史的運動に寄与しなければならない」に傍点]。この寄与をなし得ないものは、たとい初めに性格らしいものとして掲げられたにしても、結局は性格としての資格を欠いたものに外ならなかったことが証明されるであろう。事物の歴史的運動とは併し、人々が実践的にこの事物を取り扱う――理論し又使用する――ことによって生まれる事物の運動の謂であった。之なくして行われる事物の運動は自然的運動であるかも知れないが歴史的運動ではなかった。そして事物のかかる実践的取り扱いに於てこそ初めて性格が機能し得たのであった。それ故結果から見るならば、性格は常に事物の歴史的運動に於て発生する。事物の歴史的運動の動力因子、それがその事物の性格であると云うことが出来る。処が事物――それは一つの歴史的部分である――の歴史的運動はそれがぞくする任意の歴史的全体の歴史的運動によって終局的に限定されている筈であった。それ故事物の性格はそのままこの歴史的全体の歴史的運動の動力因子でもなければならない。結果から見れば、性格は常に歴史的全体の歴史的運動に於て発生する。この結果を逆にして云うならば、事物の性格は常に歴史的全体の歴史的運動に寄与しなければならない[#「事物の性格は常に歴史的全体の歴史的運動に寄与しなければならない」に傍点]。この寄与をなし得る時、性格は性格であり、この寄与をなし得ない時、性格ではなかったのである。前の場合に於て性格は正しく[#「正しく」に傍点]把握され、後の場合に於てはそれは誤って[#「誤って」に傍点]把握される。事実、事物の或る性質を性格として――事物の歴史的運動の因子として――択ぶ時、もしこの歴史的運動が歴史的全体の運動からの制約を無視したものであるならば、たといこの性質が初めは事物の性格らしく想像されようとも、やがては終局[#「終局」に傍点]に於て――直接に直ぐ様ではない――動きのとれない結果に陥るであろう。人々はここに至って初めて性格の誤っていたことに気づくのが普通であるであろう。事物の性格を択ばせるもの、それを例えば理論的計画であると云ったが、この理論的計画は個人の任意の成心によって立てられるのではなくて、正に、歴史的運動――その事物の・またその事物がぞくする歴史的全体の――によって口授されるのでなければならない。今や云うことが出来る。歴史的運動の車輪の転回に順い又之に寄与するもののみが性格的である、歴史の車輪を逆転する立場に於ては之に反して性格が失われる。後の場合の性格は誤られたる従って性格でない処の性格であるであろう。
歴史的全体が描く歴史的運動の曲線の各点に於て、性格は切線として理解せられる。或る一点に立ちながら而も他の点に固有な切線の方向を追求しようとするならば、この性格の誤解は時代錯誤[#「時代錯誤」に傍点]となって現われる。というのは時代こそ代表的全体に外ならないであろうから。時代々々に固有な切線の方向に力を加えることによってのみ、歴史的運動の車輪は最も的確に有効に能率的に回転せしめられることが出来る。この回転を機能せしめるものが夫々の事物の性格に外ならない。一切の事物は夫々の時代の切線の方向に於て性格づけられる。そして時代のこの切線は又、恰も、時代の性格[#「時代の性格」に傍点]と呼ばれているであろう。蓋し事物――歴史的部分――の歴史的運動は終局に於て時代――それは最も代表的な歴史的全体である――の歴史的運動に帰着する筈であったから、事物の性格は又終局に於て時代の性格に帰着するのが当然であるであろう。
事物の性格は、人々が事物に達する通路としてあることを、その特色とするのであった。事物の性格は人々の性格に相関的である。そこで人々[#「人々」に傍点]の――個人[#「個人」に傍点]の――性格が問題となる。如何なる性質を或る事物の性格として択ぶかは一方に於て、人々の夫々の性格に依存すると考えられる。そして人々の性格は人々によって云わば任意であり得るように見えるから、事物の性格も亦任意のものとして把握されそうである。処が他方すでに事物の性格は時代の歴史的運動によって終局的に制限されていなければならなかった。従って事物の性格は任意のものとして把握することを許されない筈であった。個人の性格は時代の歴史的運動とそれではどう関係するのか。――個人の性格も亦時代の歴史的運動によって終局的に制約されなければならないであろう。何となれば個人は時代という歴史的全体に対する一つの歴史的部分であるが、個人の歴史的運動[#「歴史的運動」に傍点]――それは前の説明によれば個人を理解し又之を待遇することによって生ずる運動であった――は時代の夫に終局的に帰着しなければならない、そして個人の歴史的運動に寄与するものこそ個人の性格でなければならない筈だからである。この点に於て個人は事物と少しも異る処を有たないであろう。処が個人は事物と異ってその歴史的運動の自覚[#「自覚」に傍点]を有っている。そしてこの歴史的運動――それは自己解釈(自覚)乃至自己待遇(行為)として現われる――に寄与するものとして自己[#「自己」に傍点]の性格を意識しているのである。性格のこの自己意識によって個人の性格は何か任意な他から独立な自由として現われることが出来るのである。併しながら自覚されたる自己の性格は必ずしも真の性格ではないことを人々は注意しなければならないであろう。彼が一人の詩人として自己の性格を見出したということは、少しも彼が詩人としての性格の主であることを保証しない。彼の性格が詩人であるか無いかは、彼が詩人振って[#「振って」に傍点]自己解釈し乃至自己待遇する――個人の自覚されたる[#「されたる」に傍点]歴史的運動に寄与する――ことによって決定せられるのではなくして、却って他の人々が彼を詩人として理解するのを媒介として彼の特色を理解する――個人の自覚されざる[#「されざる」に傍点]歴史的運動に寄与する――ことによってのみ決定せられるのである。実際個人は自己の性格を自覚しようとすることによって、却って振る[#「振る」に傍点]ことが出来る危険をもつ。この危険をもたないためには彼は自己を公平に客観的に見なければならない。そして恰も之は他の人々が彼の性格に与える理解――但し無論正しい理解――との一致に外ならない。さてそうすれば人々は自己の性格を常に他の人々によって理解され又待遇された限りの性格と一致せしめなければならない道徳的任務を有っていることとなる。自己はその自由にも拘らず、否自由によってこそ、自己を単なる一つの事物と同じ資格をもつ一個人として理解し又待遇しなければならない*。自己[#「自己」に傍点]の
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