サうすれば理論の妥当性はどこにあるのか、と。併し問題の選択は少くとも問題を選択[#「選択」に傍点]することであって、問題を勝手に[#「勝手に」に傍点]採用することではないであろう。それに、もしどのような問題でも勝手に採用されてよいならば、元来問題の問題がある筈はない。問題の選択が問題になる筈がないのである。問題の選択[#「選択」に傍点]そのものが今は問題である。何となれば問題は一定の――但し或範囲に於て形式的な――客観的標準に従って、選択され又されねばならないのだから。何がその標準であるか、曰く、性格的[#「性格的」に傍点]なる問題が選ばれなければならず、又選ばれるのである*。
[#ここから2字下げ、折り返して3字下げ]
* 性格が何を意味するかを私は「性格概念の理論的使命」という文章に於て述べた。性格の概念は個性の概念でもなく又類型の概念でもない。それは一方に於て知識学的通路[#「通路」に傍点]であると共に、他方に於て常に歴史社会的必然性――歴史的運動――の契機である。性格的とはそれ故、歴史的運動に於て必然的位置を持つ処の、歴史的運動に寄与する処の、歴史的使命[#「歴史的使命」に傍点
前へ 次へ
全268ページ中94ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
戸坂 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング