ナある、と考えられる理由は問題の概念それ自身からは、何処にもない。之は吾々の今までの分析から必然である。もしそれにも拘らず人々がそのような意識を知らず知らずにせよ持つならば、そこに支配しているものは理論ではない。何となれば理論ならば問題であるべく、問題であるなら相対的問題しかない筈であったから。そうではなくしてそこに支配するものは理論以外のもの――倫理(宗教的又は道徳的・甚だしきに至っては審美的)――の外ではあるまい。そして理論の最大の任務は常に恰も、倫理への批判であるであろう。問題を絶対化するもの――一般に立場がそれであった――は、往々にして倫理的分子である場合を注意すべきである。絶対的問題と倫理的予言とは往々相携える。実際、形而上学的体系――それは立場に基いた――の内容は、諸価値[#「諸価値」に傍点]の自然的秩序を云い表わすことが屡々であるであろう。かくしてのみ当然に、或る問題は Inferno に、そして他の問題は Paradiso に、住むことが出来る。
 人々は云うであろう、それではどのような問題を選ぼうとも人々の勝手であるのか、そうすれば問題の無政府主義しかないではないか、
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