点]であるのではない。
問いという言葉によって理解されるものは、云うまでもなく、それが何かの理論[#「理論」に傍点]のテーマとか出発とかを意味しなければならない必要はない。ましてそれが何かの科学[#「科学」に傍点](学問[#「学問」に傍点])に於ける問いを意味せねばならぬ理由はない(蓋し理論とは、比較的固定した社会的存在を概して意味する処の科学乃至学問の概念をば、より流動的・実践的に云い表わす概念である)。問いは人間の生活に於て比較的に断片的な即興的な態度の、又その態度の所産の、名である。単なる問いは従ってこの意味に於て、たとい形式社会学風に云って社会的であろうとも、矢張り個人的[#「個人的」に傍点]であると云う外はない。処が吾々の謂う所の問題[#「問題」に傍点]は常に社会的存在としての理論乃至科学(学問)に関するものとしてのみ理解されなければならないのである。問い[#「問い」に傍点]は個人的であって一向差閊えがない、之に反して問題は常に社会的であることを必要とする。社会人である個人が同じく社会人としての他人に又は自分に問うことは、彼個人の自由である、如何なることを問う[#「問う」に
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