歴史的運動はそれ故単に個人[#「個人」に傍点]の歴史的運動に外ならず、又そうなければならぬことが帰結する。この歴史的運動に寄与するものが自己の、実は個人の、性格であるのである。個人の性格はそれ故一般に、前に述べた通り――事物の夫れと同じく――時代の歴史的運動に終局的に帰着し、或いはしなければならない。事実、個人が自覚する自己の行動の意味は必ずしもそれの歴史的意味とは一致しない。之を一致せしめることによってのみ彼は自己の性格を正当に自覚することが出来るのである。
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* 所謂意志の自由は、人々が普通想像する処とは異って、時代の歴史的運動からの制限を脱却することを意味するのではない。意志の自由が道徳的である以上は――形而上学的自由は吾々の関わる処ではない――実践的でなければならず、それは歴史的運動に加わることに外ならないが、恰もこの歴史的運動――それは歴史的部分としての個人の歴史的運動である――が運動であるためには、即ち運動するためには、時代の全体的な歴史的運動によって終局に於て制約されることが必要である。この制約によって初めて個人の歴史的運動は可能
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