も彼が詩人としての性格の主であることを保証しない。彼の性格が詩人であるか無いかは、彼が詩人振って[#「振って」に傍点]自己解釈し乃至自己待遇する――個人の自覚されたる[#「されたる」に傍点]歴史的運動に寄与する――ことによって決定せられるのではなくして、却って他の人々が彼を詩人として理解するのを媒介として彼の特色を理解する――個人の自覚されざる[#「されざる」に傍点]歴史的運動に寄与する――ことによってのみ決定せられるのである。実際個人は自己の性格を自覚しようとすることによって、却って振る[#「振る」に傍点]ことが出来る危険をもつ。この危険をもたないためには彼は自己を公平に客観的に見なければならない。そして恰も之は他の人々が彼の性格に与える理解――但し無論正しい理解――との一致に外ならない。さてそうすれば人々は自己の性格を常に他の人々によって理解され又待遇された限りの性格と一致せしめなければならない道徳的任務を有っていることとなる。自己はその自由にも拘らず、否自由によってこそ、自己を単なる一つの事物と同じ資格をもつ一個人として理解し又待遇しなければならない*。自己[#「自己」に傍点]の
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