桝Rである。であるから、アカデミー化は、実は難解化を意味するのではない。もし何かの理由でアカデミー化が非難さるべきならば、人々はそこで実は難解化を非難しようとしているのではない。理論の叙述の仕方[#「叙述の仕方」に傍点]に関してアカデミー化を非難するのはその場合の問題ではないのである(それならばアカデミー化ではなくして衒学である)。もしこのようなアカデミー化に対立するものが大衆化[#「大衆化」に傍点]だと思うならば、大衆化とは、科学的無責任をしか意味しない。夫は大衆化の完全な――かの民主主義的な――歪曲であるであろう。
 そうでなくして、アカデミー化とは科学が持つ問題提出[#「問題提出」に傍点]の上の一つの態度の名でなければならないのである。アカデミーに於ては科学のもつ問題は、全くアカデミー自身のもつ伝統の内からのみ発生する。このような諸問題は併しながら、この伝統の内でこそ、その必然性・解決の必要・を有つが、それであるからと云って、この伝統の外へ出てまでも、問題[#「問題」に傍点]としての資格を保てるとは限らない。処がアカデミーにとっては、問題と云えば取りも直さずかかる伝統的問題のこと
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